るりかけすの空は

シルヴィアの空

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低く、厚く垂れ込めた雲。
何層にも重なった雲が、重さに耐え切れず空ごと落ちて来そうだ。
音と言えば、世界を切り裂くような風の唸り声だけ。
振り返ってみても、来た道はもう分からない。道らしき道がないのだ。
延々と広がる原野には奇怪な形をした大小様々な岩がゴロゴロと転がり、老人のそれのような鋭い目つきをした羊たちが異国の侵入者を注意深く観察している。

どこへ向かっているのかも、この先に何があるのかもわからないまま、ずっと急斜面を上り続けていた。
汗が下着に貼り付き、荷物が肩に食い込む。空を仰ごうと顔を上げた時、重苦しい空から雨が降ってきた。

この空をシルヴィアも見ていたのだ。
目を閉じて、しばらく空を仰ぐ。
体中すべての器官を開いて、五感でそこにある匂い、音、肌触りのありったけを感じようとした。

イギリス南西部のデヴォン州に総面積954㎢という広大な範囲にわたってmoor(原野)が広がる。それがダートムーアだ。
ダートムーアにはヒースの茂る荒野が広がり、灌木群や岩山、城の廃墟などが点在している。

そしてシルヴィアとは、死後ピューリッツァ賞を受賞したアメリカの女性詩人シルヴィア・プラス(1932—1963)。
詩だけではなく、彼女の自伝的小説『ベル・ジャー』は世界中で読み継がれている。
ダートムーアには、そのシルヴィアたち一家が1961年から1年余り住んでいた家がある。

どちらかといえば、詩は得意ではない。
どう読んだらいいのか、作者は何を言いたいのか、想像は出来ても答えはなく、それを研究者と言われる人たちが色々と分析するのも何だか腑に落ちない。
詩とは付き合い方が分からなくて、近寄れずにいたと言ったらいいだろうか。
ただ、シルヴィアの詩は違っていた。理屈ではなかった。

出会いは何の予備知識もなく、たまたま友人と観に行くことになった映画『シルヴィア』(2003年/イギリス)。映画自体は男女の愛憎劇という感じで特に印象に残らなかったのだが、帰宅後すぐ、家の本棚に彼女の詩集があるのを発見した。
瞬く間に引き込まれていた。圧倒的な言葉のエネルギーに説明は要らず、粟立つような感覚が体に入り込んできた。

その詩中に何度も登場するダートムーア。
謳われる空の色、狂気を孕んだ風の音、憂鬱で終わりのない夜の闇、それらをこの目で、耳で確かめたいと思った。彼女がエアリアルと名付けた馬を走らせていたムーアの景色を見てみたいと思った。

結婚生活が破綻した後、シルビアはロンドンへ戻る。2人の子供たちを育てながら、かつてW・B・イエーツが住んだアパートに住み、創作活動を続けるが、1963年1月、30歳という若さで自らの生涯を閉じる。

シルヴィアはそのドラマチックとも悲劇とも言われる人生から、そしてある種のカリスマ性を持った作品から熱狂的なファンも多い。
しかし、実は仕事と家事育児に追われながらも、決して書くことをあきらめなかった、いや、止めることができなかった彼女の生き方にこそ、人々は共感を覚えるのかもしれない。


    ほとばしる血は私の詩
    誰にも止めることはできない
    あなたは私に手渡した 二人の子供と二輪のバラを

                          Kindness(親切)より

シルヴィアの詩からは、しばしば破壊と死の匂いがする。
にもかかわらず、彼女の詩から感じられるのは生と愛の渇望であり、誰よりも生きたいと思っているように感じられてならない。
彼女は劇的な人生から逃れることはできなかったが、一方では凡庸で静かな生活に憧れ、常に「終わらせたい」と望んでいたのかもしれない。


    花なんて要らなかった ただ横たわっていたかった
    手のひらを上に向けて 空っぽになって

            Tulips(チューリップ)より

ダートムーア滞在の最終日、シルビア達が住んでいたCourt Greenがあるダートムーアの北にあるNorth Tawtonを訪れた。
短いメインストリートに数軒の店があるだけの小さな町。町中すべてがひっそりとしていて、喪に服しているような町だと思った。
彼女はここでどんな希望を抱き、何を見て、何を感じ、何に失望したのか。その何もかもを抱括してしまう空気がダートムーアにはあったように思う。
あらゆる感情が現実を飛び越えて、芸術に昇華されてしまうような不思議な空気が。

でもなぜだろう、ここへ来たことは誰にも言ってはいけないような気がした。
そっと心の奥にしまって、鍵をかけておく秘密の場所のように。

もう引き返さなくては。
雨が強くなり始めた中、元来た方角を目指して下り始めた。

シルヴィアには戻りたいと思う場所があったのかしら、と思いながら。


    闇の中の静止
    それから 実体のない青
    岩山の遠景が流れ出す

     Ariel(エアリアル)より


※本文中詩訳:佐藤泰人

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ムーアに点在する巨石群

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晴れた日は歩くのも気持ちいい

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Sylvia Plath(シルヴィア・プラス)

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North Tawtonの町並み

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子供向けに書かれた唯一の絵本。長田弘訳/みすず書房

※これはBOOK246のコラムに2010.4.22に掲載されたものです
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by sorapis | 2010-04-24 02:02 | Travel:るりかけすの旅

シンガーソングライターるりかけすの山と本とサブカルな日々の話。
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