るりかけすの空は

カテゴリ:Review:カルチャー( 24 )




『影の縫製機』 ミヒャエル・エンデ


『影の縫製機』(1982年、ドイツ/オーストリア)
 作:ミヒャエル・エンデ
 絵:ビネッテ・シュレーダー
 訳:酒寄進一
 長崎出版・2006年
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仕事でレビューを書くために3冊並行読みをしていた時、
ふと見上げた書棚に思いがけず目が止まった。
群青色のクロス装に、繊細な宇宙の絵が美しい紙箱入りの本。
『はてしない物語』や『モモ』で知られるミヒャエル・エンデが、
絶頂期に出した詩集『影の縫製機』である。

これは、大切な友人が2年前の誕生日に贈ってくれたもの。
はさんであった手紙に目を通して、当時の様子を懐かしく思い出しながら
珠玉の19篇をじっくりと読む。

—「影」。

光がある限り、意識していようがいまいが、それは存在する。
足下からのびる影を完全に忘れている人もいれば、
大きくなり過ぎた影に呑まれそうになっている人もいる。

エンデ独特の哲学観は、どこか村上春樹に通じる幻想的な世界を纏いながら、
影とのつきあい方をそっと教えてくれる優しさを持つ。
それは時間と共にじんわりと心に沁みてくる。
読んだ翌朝、得も言われぬ温かい気持ちがお腹の辺りを満たしていた。
人は「影」の存在を心から認め、受け入れられた時、
少し生きやすくなるような気がした。

繊細な線画でエンデの世界をより一層豊かに彩っているのは、
絵本売場に行ったことがある人なら 必ずや目にしているであろうビネッテ・シュレーダー。
細やかな陰影と色彩、柔らかなタッチの画風しか知らなかったので、
不可思議で、シュールレアリズムの影響も感じさせる緻密なモノクロの線画に軽い驚きを覚えた。

とはいえ、やはり原書を読んでみないことには。
そんな嬉しい再会もあった秋の夜長の出来事。

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1975年にスイスの「最も美しい本」賞、
1977年にライプツィヒ図書展の「世界で最も美しい本」賞を受賞したシュレーダーの『わにくん』。
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by sorapis | 2009-10-09 04:38 | Review:カルチャー

オーガニックを考える。 映画『未来の食卓』

人でも、本でも、映画でも、何でも。
めぐりあわせというもの、逢うべき時に会うべくして出逢う人、もの、こと、
というのがあるように思う。

などとカッコいい言い方をしてみたが、
先日、ドイツから帰国した翌日のこと、
観るべき時に観るべくして出逢った映画が『未来の食卓』。

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その日、ふらりと入ったアップリンク1階のレストランTabela
ランチはサラダお代わり自由なのね、ここのグリーンカレー美味しいねぇ、
などと感激しながら(やっぱりゴハンは日本が一番美味しいんだもの)
本をぱらぱらめくっていたその時。

アップリンクかぁ、映画観たいなぁ。
そういえば、最近映画観てないな。

と思ってしまった瞬間、
かなりの映画好きな私としてはいても立ってもいられなくなった。
今上映しているのは・・・
あ、『未来の食卓』。

代官山のヒルサイドパントリーにポスターが貼ってあったり、
いつも読む雑誌で見かけたり、
何となく気になる存在ではあった作品。
どうしても観たい!というわけでもないけれど、やっぱり気になる。
何より映画が観たい。
時計を見ると、上映時間ジャスト!!
急げっ。
かくして無事にシートに着席。

この作品は2008年にフランスで公開され、
大ヒットを記録した食にまつわるドキュメンタリー。
小学校の給食をすべてオーガニックにするという画期的な試みを導入した、フランス南部のバルジャック村の約1年を追いかける。
ここに登場するのは、穏やかで美しい村に暮らすごく普通の人々ばかり。
この美しくのどかな風景とは裏腹に、バルジャックには農薬による土や水の汚染による病、ガンや神経症などが、子どもにも大人にも確実に忍び寄っていた。

この深刻な事態から子どもたちを守ろうと、村が動き始める。
野菜を育てながらオーガニック(BIO)食品の味を覚え、
本来の味覚を取り戻していく子どもたち。
そんな子どもと共に、大人たちは本気でBIOについて考え始める。


オーガニック。
つまり農薬や化学肥料などを使わない有機栽培のことだが、
ヨーロッパではBIO(ビオ)と言われている。
最近渡欧するたびに、スーパーマーケットでこの「BIO」マークを目にする機会が増えていた。
ある程度の大きさのスーパーになると、BIO製品だけを集めたコーナーがあり、
あらゆる食材から洗剤などの日用品までがそろっている。

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     BIOのペパーミントティー。ハーブティー好きな私は何箱も購入する。


今年になって「BIO」というロゴの多さに気付き、名前から何となくオーガニック系の商品であろうことは想像がついたが、同じ商品なのにBIOマークのついていないものに比べるとかなり高い。下手をすると倍近くもする。
現地ではアパート暮らし、エンゲル係数がやたらと高い我が家には、なかなか手が伸びにくい商品で、「これ安い〜」などとはしゃぎながら、ついつい、安い方ばかりを購入してしまっていた(バカ者)。

が、しかし・・・。

映画を観ている時点で、顔面蒼白。
「安い、安い」と私が買っていたもの。
缶(あるいは瓶)詰め野菜に、お菓子に、パンに、お茶に、果てには水にも。
殺虫剤に発がん性たっぷりの農薬、化学物質。
そして、これでもかと農薬を撒き続ける映像。
農家の男性は毎日鼻血を垂らしながら農薬を調合し続け、
子どもはある日突然白血病になり倒れ、
原因不明の神経症に冒される人がいる。
いや、原因不明ではない。
もはや原因は明確だ。

BIO製品が売れて、需要があるということになれば、
スーパーのバイヤーは高くてもどんどん店に置くようになるだろう。
そしてBIO製品が必要とされれば、有機栽培の農家が増える。
それは農薬の使用量を減らすことに確実につながっていく。
つまり、各消費者がBIO商品を購入することが農薬の減量に繋がるのだ。

映画を観る前日まで、BIO製品を目にしながら、より安い商品を購入していた自分が恥ずかしく、情けなくなってきた。

こんなふうに書くと、私がまるで環境やオーガニックに関心がない人間だと思われそうだが、自分も含め家族の肌が弱かったことなどもあって、
だいぶ前からシュタイナーのバイオダイナミック農法などについても勉強していたし、
肌につけるもの、薬品、洗剤、衣類などは徹底比較した上で
極力オーガニックのものを使っている。

ただ、食品に関しては、オーガニック物にもろ手を挙げて「傾倒する」ことに抵抗があったことは否めない。
日本で有機野菜を買おうと思えば、色々な業者があり、今では選択肢も広い。
そうして購入した野菜は「もうスーパーの野菜が食べられないほど美味しい」とよく聞く。
それは本当なのだろうと思うし、自分でも経験はある。

しかし、ビーガンの方々やマクロビオテックを日々実践していらっしゃる方々の徹底ぶりに、身体には良いと分かっていても、私にはとても無理だなぁ、と気圧されたことは何度もあったし、何より有機栽培の食品は高い(苦笑)。
有機農業の労働対価を考えれば当然なのだが、やっぱり高い。

そして、それ以上にひっかかる思い出があった。
幼い頃から食べることが大好きで、食に対して関心が高かった私は、だいぶ前に山形の有機栽培農家へフィールドワークとして数週間泊まり込んで、有機農業をお手伝いさせていただいたことがある。
その時に農薬を使って草一つ生えていない美しい畑を横目に見ながら、
農薬を使わない草ぼうぼうの畑で朝から晩まで
終わるとも思えない草取り作業をくり返した。
一日汗水たらして草を刈っても、作業が進んでいるようには思えなかったほどだ。

それでも有機農業に興味津々の学生だった私は、
土の匂いを顔の近くに感じながら楽しんでいた。
しかし、お世話になった農家の方が「有機農業に賛成ってわけじゃないんだ」と
ぼそっとつぶやかれたのだ。
「でも、東京のお金持ちの人が買うから」と。

私はどう頑張っても、フィールドワークに来ただけの学生。
何日かすれば東京へ帰り、草取りとは無縁の生活に戻る。
でも彼らは農薬を使わないために、これからもずっと、きっと有機栽培農家を続けていく限り草取りを続けるのだ。
東京のお金持ちのために。

彼のつぶやきを聞いた時、若かった私は何とも言えない複雑な思いにとらわれ、
申し訳ないような気持ちさえ覚えてしまった。
その気持ちをぬぐい去れないまま、今日まで来てしまったのだ。
そしてそれはロハスとかエコという言葉が一人歩きすればするほど
強まっていたことも確か。

しかし、それはたった一人の人の意見に過ぎなかった。
強い情熱を持って有機農業をされている方も沢山いたことだろうし、
そちらの方が圧倒的だったはずだ。
だからこそ、有機農業のことを知って欲しくて、私たち東京の大学生を受け入れたりまでしてくれていたのだ。
私が持っていた長年の「ひっかかり」は、映画を観終わった後、消えていた。

環境問題を考える時、世界を変えていくには子供達と母親の役割が大きいことを、
この作品は教えてくれる。
ロシアの文豪ドストエフスキーの「美こそ世界を救う」という言葉を掲げ、
この作品が自然の美しさへのオマージュでもあると監督は言う。
美しさを守ることこそ、子供達の未来を守ることなのだと。

今夏、ヨーロッパアルプスに登っていてまず感じたのは
氷河が確実に減っていることだった。
地球温暖化をこれほどまでに身を以て感じたのは、初めてだと言ってもいい。

今すぐにでもできることは沢山ある。
母としてだけではなく、一人の人間として、
世界を変えていくこと、子どもたちの食を守ることを
今日から始めていきたいと思う。



映画『未来の食卓』
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by sorapis | 2009-09-21 03:07 | Review:カルチャー

読書で旅へ

風邪をひいた。

恐らく扁桃炎からくる熱だったのだと思うが、休むに休めないままダラダラ仕事をしていたら、案の定こじらせてしまった。
3週間近く熱が下がらず、咳が止まらないと病院を変えてみると、気管支炎と喘息を起こしていた。
普段滅多に風邪をひかない私も、この時期は風邪をひくことが多い。多湿や気温の変化、冷房などにやられるらしい。
ちなみに未だに熱下がらず、である。

といったことはさておき。

風邪をひくと本が読める。本屋で働いていると、読みたい本は数え切れないほどになり、
読もうと思って買った本が家には山積みとなっている。
読みたい気持ちは山々なのだが、普段は雑事に追われ、なかなか読書をするだけのまとまった時間が取れないのが現実。
そんな私が読書量を誇るのは、何を隠そう風邪で寝込んだときだ。
今回も高熱にうなされながら、5冊の本を読んだが、
とびきり素晴らしい本に出会うことができた。

それはキアラン・カーソンの『シャムロック・ティー』。
久しぶりにページをめくる手が止められない、ドラッグにも似た高揚感に包まれた読書体験をした。

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キアラン・カーソンといえば、『アイルランド音楽への招待』を読んで以来だったのだが、この本の印象が強く、しばらくの間カーソンはアイリッシュ・トラッドのミュージシャンか研究家だとばかり思っていた。
もちろんカーソンはミュージシャンでもあり、アイリッシュ・ミュージックの研究家でもあるのだが、カーソンが北アイルランドにおいてノーベル文学賞を受けたシェイマス・ヒーニーに続く世代を代表する詩人として、ポール・マルドゥーン、メーヴ・マガキアンと並び称される存在であることを、恥ずかしながらこの作品を通じて知った。

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お金がない、休みが取れない、様々な理由から、思い立ってすぐに旅に出られるような人は
そうそういるわけではない。
しかし、読書を通じてならば、いつだって、世界各国どこへでも、時空を超えてだって旅は出来るのだ(あるいは旅以上の経験ができることだってある)。
そのことをこの本は思い出させてくれた。


「ことによるといつの日か、自分が最初にいた世界へ戻れないともかぎらない。だから、とりあえず今は、そちらの世界について書きつけておきたいと思う。」

物語はこんな魅力的な書き出しで始まる。
シャムロックといえば、アイルランドを象徴する三つ葉のクローバーを思い浮かべるだろう。だが、シャムロック・ティーというのはこのシャムロックを煎じたお茶の名前ではなく、特殊な作用を持つ薬草をブレンドした煙草のことである。
このシャムロック・ティーを飲む(吸う)と…

Paris Green(ヒ素系鮮緑)、Clerical Purpe(聖職服の紫)、Redcoat Red(英国軍の軍服の赤)、Danube Blue(ドナウ川の青)。
これらの想像力をかきたててやまない色の名前は、すべて各章のタイトルである(中にはDorian Grayなんて色も。ワイルドにちなんでいることは言うまでもない)。
『シャムロック・ティー』には、原文・翻訳共に3ページに満たない章が全部で101つ並ぶ。
その言葉の表現する色が実際にはどのような色なのか、常に頭に思い描き、想像しながら読み進める。こんなにたくさんの色を思い浮かべたのは初めてかもしれない。それだけでも豊かな気持ちになる気がする。

色彩の鮮やかさだけでなく、物語にさらなる彩りを加えているのがカトリックの聖人暦。
一年365日、毎日が何らかの聖人の祝日であり、
キーワードとなる日がどの聖人の祝日であるのかも、この物語の重要な要素なのである。

これらの気の遠くなるような逸話の数々が、ヤン・ファン・エイクの傑作「アルノルフィーニ夫妻の肖像」という一枚の絵を軸に、まるでレース編みさながら、複雑かつ精巧に織り上げられていく。
その中で、コナン・ドイルが推理論を語り、ウィトゲンシュタインが哲学を語り、オスカー・ワイルドが文学と美学を語る。
とにかくどのページを開いても楽しめるという、隅々まで(隅々「こそ」?)面白いこの本の中心に、“神は細部に宿る”をそのまま作品にして見せたヤン・ファン・エイクを持ってくるというところも、心憎いとしか言いようがない。

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ヤン・ファン・エイク画「アルノルフィーニ夫妻の肖像」


話が話を呼び、またその話が続いていく。どこからが本筋でどこからが逸脱した話なのかはどうでもよくなるほど、夢中になってしまった。
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」の中に描かれた凸面鏡を覗き込んでいるのは、自分なのではないかという錯覚さえ覚え始め、うかうかしていると眩暈を起こしそうになるのだが、万華鏡のごとくひとつひとつのエピソードがキラキラと変転していくのに酩酊した。

この本を読めば、1959年の北アイルランドへ、そして15世紀のゲント(『青い鳥』のメーテルリンクの故郷)やゲールへ、時空までもを超えて旅できることを約束する。
読後の少し切なくて心地良い感覚は、文中に時折現れる“二度と戻れない時間を振り返り、懐かしんでいる”ようなカーソンの郷愁に満ちた語り口であろう。

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ゲントの町並み(ベルギー)

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ゲントにあるファン・エイクの最高傑作「神秘の子羊」

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聖ディンプナにゆかりの深いゲール(ベルギー)


数ある本の中からこの世界を体験できた幸せ。
私もシャムロック・ティーの魔法にかけられたかのように、現実へ戻るのが大変だったことは言うまでもない。
最後にこの「奇妙"てきれつ”マカ不思議」なストーリーを余すところなく伝えてくれた、
栩木伸明氏の翻訳が素晴らしかったことを付け加えておきたい。
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by sorapis | 2009-07-22 23:20 | Review:カルチャー

観劇レビュー『シュート・ザ・クロウ』

先日、海外最前線の現代戯曲を、日本の注目若手演出家が手がけた「シリーズ・同時代<海外編>」の第2弾、 『シュート・ザ・クロウ』を新国立劇場へ観に行った。

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「shoot the crow」=「さっさと仕事を切り上げて、一杯飲みに行こうぜ」という意味を持つこの作品は、北アイルランド生まれ、 ベルファスト在住の戯曲家オーウェン・マカファーティーが1997年に発表した戯曲。
これを最近活躍のめざましい田村孝裕が演出した。

オーウェン・マカファーティーといえば、映画『モジョ・ミキボー(ミキボーと僕)』を観て以来、気になっていた作家だったので、 とても楽しみにしていた。
北アイルランドをテーマにした作家というと、紛争を真っ向から取り上げた作品がまず思い浮かぶのだが、この『シュート・ザ・クロウ』は紛争 とは全く関係のない、「仕事」がテーマである。

物語は、ベルファストの建築現場で働く4人のタイル職人たちが、タイル泥棒の計画をめぐり2組に分かれて駆け引きをくり広げる一日を描き出す。
再就職(窓拭き清掃夫)の資金が欲しい、今日を最後に引退のディン・ディン65歳と、
バイクが欲しい19歳の若者ランドルフ組。
一方は、 優秀な娘の留学資金が欲しいピッツィ36歳と、妻と息子に逃げられて何とかやり直したいソクラテス39歳組。

最後まで特に何かが起こるわけではなく、それぞれが家族や人生、ささやかな楽しみなどをひたすらにしゃべっているだけの舞台。
それだけなのに、 彼らの会話が国境をも越えてすんなりと観客を引き込むのは、雇用不安、経済格差、閉塞感など、現代日本社会の風潮にも合致しているからかもしれない。
そして、マカファーティーは「仕事に内在する矛盾」をこれでもかと突きつけてくるのである。

世の中には好きな仕事に就けている人がどれだけいるのだろう。
生活のため、家族のため、様々な名目のもとに、毎日重い足を引きずりながら、
好きでもない職場へ出かけて行く。
不満をもらしつつも、仕事のおかげでより良い人生が送れるのだと言い聞かせ、
せき立てられるようにして働く。
しかし、ふと立ち止まった瞬間、あるいはこの作品に出てくるディン・ディンのように、
引退することになった時、仕事に捧げて来た膨大な時間は無駄だったのではないかと
どうしようもない虚しさに襲われる。

しかし、だ。やっぱり働かなければ、生活していくことはできないのである。
これは考えたらやっていられないから、考えることを避けてしまう種の矛盾である。
だから、マカファーティーは『シュート・ザ・クロウ』を コメディという形で見せたのだろうか。
仕事とは、働くこととは何かと考えながら、観劇後にはある種の切なさが残った。

このような作品が日本でも紹介されることはとても嬉しい。
反面、残念だったのは4人のアンサンブルがいまひとつだったこと。
説得力のある芝居を見せてくれた平田満氏(=ディン・ディン)を除いては、
台詞回しや声の大きさなど、 各人に何かしら浮いてしまう部分が目立って、
芝居に集中し切れなかった感が否めない。

この日は終演後にフライデーパブがロビーに開設された。ギネスをちびりちびりと傾けながら、関係者の皆さんと色々な話をさせて頂いた。
それによるとこの作品、とにかくスラングばかりで翻訳が難航を極めたらしい。
言葉遊びの要素がふんだんにちりばめられた原作が、
翻訳劇になってどこまで忠実に上演されているのか。
あるいはどのように姿を変えたのか。
原書を読んで確認したいところだが、 残念ながら私の英語力では及ばなそうだ。

それにしても、この「同時代」シリーズ、非常に面白い作品を取り上げている。
第3弾の『タトゥー』のチケットも購入済み。
今度はドイツ人劇作家デーア・ローアーの作品。
舞台美術はベルリン在住の塩田千春が手がける。
作品自体への期待もさることながら、 どんな舞台美術が見られるのか大いに期待が膨らむ。

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舞台となったベルファストの町並み

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あのタイタニック号を建造したH&w社の造船所

(これは09.5.29にBOOK246 web siteに掲載されたコラムに加筆したものです)
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by sorapis | 2009-05-24 23:00 | Review:カルチャー

grain-d'aile セミ?・・・ではなく、鳥になった日


グランデールはかるいだけ。
そよ風が遠くへ運んでゆくひとひらの葉っぱのように、
麦わらみたいに、タンポポの綿毛そっくりに、
ただかるいだけでした。
 
        『grain-d'aile グランデール』ポール・エリュアール

光にみちた作品で知られるフランス詩人、ポール・エリュアールが晩年に書いた唯一の童話「grain-d'aile(グランデール)」。
主人公グランデールは、大きくなると羽が生えてくると信じていて、毎朝鏡に背中を映しては「まだだわ」とつぶやいています。

4/20に新訳で発売された『グランデール』の刊行に併せて、素晴らしい挿絵を描かれたフランス人アーティスト、 オードリー・フォンドゥカヴさんと親子で大きな羽根を作るワークショップに参加してきました。

オードリーさんの作品は、内田也哉子さんとの『わたしのロバと王女』の時から大ファン。
11日には表参道にあるNOW IDeA by UTRECHTでドローイング展を見て来たばかり。
いやが応にも期待が高まります。

さあ、羽根に色付け開始です。
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あらあら、出来上がるの?


何とかできあがった羽根を装着。
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何だか鳥じゃなくて・・・セミ? 虫っぽいなぁ。
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最後に小学校の校庭へ羽ばたきに出かけました。
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・・・羽ばたいていませんが(爆)。


今、この大きな羽根は我が家のリビングに飾られています。
間違えて左の羽根が2枚なんですが(苦笑)
見ていると、とっても温かい気持ちになります。
オードリーさん、素敵な思い出をありがとうございました。
1歳児、憶えていてくれるのかなぁ?
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by sorapis | 2009-04-19 23:50 | Review:カルチャー

大坪 麻衣子 銅版画展 「VOYAGE」

昨年の秋に出会った銅版画のポストカード。
色使いやカリカリとした線の感じがたまらなく素敵で、思わず何枚も買ってしまった作者は大坪麻衣子さん。
主に大阪で活動されているそうなので、東京での個展を知り、これは行かねばとそそくさ出かけてきました。

表参道にある小さなギャラリーにかけられた作品たちはポストカードで見る以上に素敵で(当たり前ですが…)、一枚一枚に「物語」が紡がれていて、どれもこれも欲しくなってしまいました。
迷いに迷った挙句、青色がとても印象的だった額装済みのオリジナル作品を思い切って購入。
やはり作家さんご自身による額装が一番しっくりくるように思う今日この頃。
大坪さんが大阪の問屋さんで見つけられた一点物だそうです。

大坪さんは奇しくも私と同じ歳。
笑顔が可愛らしい、作品と同じように素敵な方でした。
個展が終わったら作品が届きます。
どこに飾ろうかしら?
本当に待ち遠しいです。

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大坪 麻衣子 銅版画展 「VOYAGE」
VOYAGEー旅のかけらたち

2009年3月17日(火)〜29日(日)
12:00〜20:00 毎週月曜日休廊
galerie doux dimanche(青山)

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会場で大坪さんとパチリ
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by sorapis | 2009-03-19 23:07 | Review:カルチャー

ベルリン・フィル再び!!

真夜中テレビをつけると、あぁ、サイモン・ラトル!!
今週〆切の原稿のチェックをしようと下書きを片手に、ベートーヴェンの交響曲7番を結局最後まで聴いてしまった。

彼の指揮する音楽は、カラヤンやアバドのそれとは違って、まだ成熟しきっていない、まだまだこの先へ行けそうな可能性を感じながら聴いてきたのだが、そんなことはどうでもいいのだと今日思った。
彼そのものが音楽であり、歌うように軽やかな身のこなしと指先から流れ出る音楽。
そしてベルリンフィルの素晴らしい音が渾然一体となり、最終楽章へとのぼりつめていく様はまさに圧巻。
シンフォニーはベートーヴェン派ではなかった私が、
最後には思わずスタンディングオベーション!!
真夜中にこんなに素晴らしい音楽に出会えたことが単純に嬉しくて、涙が止まらず。

ニューイヤーコンサートを最初から最後まで指揮者になりきった然さんにも(指揮者ごっこに夢中)見せてあげたかったなぁ、、、
と思った夜明けの出来事(早く寝なさいってば)。
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by sorapis | 2009-01-26 05:47 | Review:カルチャー

丸メガネの似合うあの人

あけましておめでとうございます。
子どもの頃は楽しいだけだった年末年始も、大人になるとどうも大変な時期になってしまったことが寂しい今日この頃。
お正月も終わり、ようやく普段の生活に戻り始めて、ちょっとホッとしています。

BOOK246の年始は1月4日から。
1月からは平台特集が「丸めがねの似合うあの人」と「ゆったりと、夜」に変わりました。

「丸メガネの似合うあの人」は、丸メガネの似合う、作家やアーティストなどの才人たちを集め、彼らにまつわる本や、彼らの代表作ではないけれど、ぜひ読んでほしいとっておきの本たちをピックアップして特集しています。

皆さんは丸メガネの似合う人、と聞いて誰を思い浮かべますか?
あの人も、実はこの人も実は丸メガネ。
フロイトやヘルマン・ヘッセ、『ユリシーズ』のジェイムズ・ジョイスもなんですよ。
大江健三郎氏の本は、肩がこらずに読める『「話して考える」と「書いて考える」』など、料理のエッセイとしていまだ色褪せることのない北大路魯山人の『魯山人の料理王国』、涙なしには読めない荒井良二氏のとびきり素敵な絵本『はっぴぃさん』。
今の時代にこそ読んで欲しいのが『ガンジー自伝』。
そして、建築家のル・コルビュジェにまつわる本や中村好文氏の本、写真家のアラーキーこと荒木氏の『冬の旅』も並んでいます。

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実はこの特集は私がしたので、どの本も自信を持ってオススメします(笑)。
さらに、るりかけすのホームページを作ってくれている長谷部真美子さんには、特別にmaru megane bookmarkを制作してもらいました。
針金で丁寧に作られた丸メガネをかけた人たちのクラフトブックマーク。
とっても可愛いです☆
文庫本サイズ2個組が525円、大きな単行本サイズが420円です。

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もう一つの平台特集は、「ゆったりと、夜」。
冬の夜長に読むのにピッタリな本たちが勢ぞろい。私がこよなく愛す、ミヒャエル・エンデの『自由の牢獄』も文庫本化されて登場しています。
オススメはムーミンを書いたことで知られるトーベ・ヤンソンの短編集や、同じくエンデの『影の縫製機』。他にも素敵な本がいっぱいです。
眠る前に眺めているだけでも幸せになれる本がたくさんありますよ。

ぜひ冬の読書を楽しむために、BOOK246へお出かけくださいね。
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by sorapis | 2009-01-09 04:35 | Review:カルチャー

大丈夫であるように @渋谷シネマライズ

今月はベルリン・フィルに続いて、どうしても見ておかなければいけない映画があった。
しかし、前回同様、然がおとなしく映画に付き合ってくれるのかどうか。
あれは奇跡だったのかもしれない・・・と少々ビビる母。しかも連日満席だと言う。
とりあえず、今回も映画館に電話をし、了解を取る。

冷たい雨が降る中、開場を待つ人たちが列を作っていた。
私たちはご厚意で、最後列の通路側の席を確保してもらっていた。

この作品は、大好きな是枝裕和監督が(最も好きな作品は『ワンダフルライフ』(1999年)、『幻の光』(1995年))、やはり私にとっては唯一無二のCoccoの全国ツアーを共に旅しながら追いかけたドキュメンタリー映画。

映画が進むにつれ、私は戸惑っていた。
きっと感動して、終始泣いてばかりだろうと思って出かけて来たのだ。
それなのに、実際は心が痛くてたまらなくて、途方に暮れた気持ちになっていた。

彼女の歌に出会ったのは、10年前。
曲を創るなんてもちろん、カラオケすら無理なほど、人前で歌うことも考えられなかった頃だ。
でも、聴くことは好きだったし、くり返し聴く好きなアーティストだっていた。
それなのに、なぜか彼女の声に出会ってからは、他のどんな歌を聴いても「何か」物足りなく思えた。そのくらい、私にとっては圧倒的な存在だった。

休止前の歌に比べて、自由に飛び回り、きらきらと光っている曲たちを聴いていると、彼女はもっと楽に生きることができるようになったのだと思っていた。
「生きたい」とストレートに言えるほど強くなったのだと、勝手にホッとしていた。
しかしスクリーンに映し出される、あまりにひたむきで、刹那過ぎる生き方は、今でも痛々しいほどだった。
母になったこと、大切な人々の生死に立ち会ってきたことが、さらに素晴らしい曲を生み、そう言わせたのだろう。

そんな不器用なほど実直な生き方しかできない彼女を見て、自分の奢りや煩悩さが恥ずかしかった。そして、自分はそこまでひたむきになりきれないゆえの、彼女への憧れもどこかにあった。

どんなに力を尽くしても、力の及ばない、厳しくて苦い現実がある。
でも、この世界にはやらないよりやった方が絶対にいいことだらけなのだ。
行動を起こさなければ何も始まらない。
行動を起こしたことで、必ず次に繋がっていくのだから。
それなのに、私たちはなかなか腰を上げることが出来ないでいる。

「続けている人たちの強さを知ったから、歌い続ける」と語っていたCocco。
「続ける」ことほど大変なことはないと、私も思う。
継続する強さ。
弱くて小さい私は、歌うことだけでなく、あらゆることと葛藤してばかり。

いつ歌をやめる日が来るのか。
いい加減、やめるべきでないのか。
私が歌おうが歌うまいが、誰も影響を受けることもないであろうに、いつも漠然と怯えている自分がいる。
やめられるわけないのに。
歳を取っても、生活環境が変わっても、どんな形でも歌い続けていく強さが欲しい。
私の中から音と言葉が涸れてしまう日まで、歌い続けていきたい。
そしてどうか、彼女にも歌い続けて欲しい。
ずっとずっと私は彼女の音を待っているだろう。

苦しさと祈るような気持ちで映画館を出た。
冷たいけれど、やわらかい雨が降っていた。
ふと息子の顔を見ると、にっこり笑ってくれた。涙が出るほど愛おしく思えた。

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by sorapis | 2008-12-17 23:37 | Review:カルチャー

1歳児と映画館『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』

毎月1日は映画の日。
そうだ、そんなことすっかり忘れていました。

そんな1日、久しぶりにぽっかり空いたオフの時間。
オフと言っても育児にオフはないのですが、それはさておき、一日がかりの予定がないのは本当に久しぶり。
そうとくれば、今どうしても観ておきたい映画があったのです。

それは『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』。

126名の楽団員が、アジア6大都市をめぐるコンサートツアーを追ったドキュメンタリー映画です。
2年ほど前に『ベルリン・フィルと子供たち(原題:Rhythm Is It!』を観て以来、サイモン・ラトル(ベルリン・フィル主席指揮者)のファン。
この作品を10代、あるいは20代前半のうちに観たかった。そうしたら違った人生を歩けていたのではないかと思えるほど、出会えたことに感謝している映画なのです。
その監督トマス・グルベとラトルが再び組んだというのですから、観ないわけにはいきません。

実はこの作品、今年の9月のBelfast滞在中にBBCで放映されたものを観ていたのです。
でも、旅行中で家事の片手間に、アパートの申し訳程度のブラウン管テレビで観ていたに過ぎないので、ぜひ日本でも放映されないかと心待ちにしていたところでした。
まさか映画とは思いませんでしたが…。

ベルリン・フィルは先日来日しましたが、生で演奏を聴こうと思ったら、とんでもないチケット料金です。今の私には到底ムリ。
でも映画館なら、生にはかなわないとしても、かなり高音質の音でベルリン・フィルの演奏が聴けるのです。
そのため、オーケストラの音を堪能するには映画館に行く必要があります。

しかし、1歳児然はどうするか…。
まさか映画を観るために預けるわけにも行かず、映画館へ問い合わせたところ、あっさり許可が出たのです。

泣いたり騒いだりしたら、すぐに退場すると告げて着席。
映画の日とあって、月曜日の日中だというのに立ち見も出るほど。
親切な奥様が、最後部の通路側席を快く譲って下さいました。
客席の大半が楽器ケースを抱えている人か、スーツ姿のおじ様や品の良いおば様方。
この作品はベルリン・フィルの演奏を楽しみに来ている方も多いはず。子供の泣き声なんて許されません(苦笑)。

しかし始まってみればその心配も杞憂に終わりました。
予告編からスクリーンをしっかり見据える然さん。
本編が始まり、オケの演奏シーンでは満面の笑みで頭を振って(なぜか)タテノリ。
最近音楽が大好きで、音楽が流れてくると頭を振って、ヨコかタテかでリズムをいっぱしに取るのです。
拍手喝采のシーンになると、率先して拍手(当然ですが、映画館内で本当に拍手しているのは然だけ)。
その拍手以外の音は出すことなく、真剣にスクリーンを見つめたり、ウトウトしたり。
すぐに感極まって、涙をポタポタと落とし、鼻をすすり上げている泣き虫母さんを不思議そうな顔をして仰ぎ見ていました。

最近育児をしていて感じることは、子どもはまだ言葉が話せなくても、十分に雰囲気、声色などから言葉は分かっているのだということ。
だから、映画館へ向かう途中、これからどんなに素晴らしい音楽が聴けて、どんなに素晴らしいものが観られるのか、いっぱいいっぱい話しておきました(笑)。

団員の言葉ひとつひとつが、ラトルの言葉が。
どうしようもない位に突き刺さり、しみ込んできました。
これまでベルリン・フィルと言うと、世界最高峰のオーケストラ、高嶺の花のセレブ集団というイメージばかりが先行していましたが、楽団員個々は、ビッグネームの重圧と一個人の存在に悩み、葛藤する生身の人間なのだということを、痛いほど感じさせてくれます。
それぞれが一人の演奏家として素晴らしい才能を持ちながら、オーケストラの構成要素として突出することはできない。
そんなジレンマの中で苦しむ団員たちを乗せたベルリン・フィルという巨大な船を、ラトルが梶を取り、音楽は大洋へと漕ぎ出して行くのです。
映画は音楽が飛び立つ瞬間を垣間見せてくれます。
それは本当に感動に値する記録です。
生だったら息が止まるかもなぁ、なんて思いながら。

「私達はかつてみな変わり者だった。その我々がこうして受け入れられている」というラトルの言葉。
音楽家ならば向き合わずにはいられない圧倒的な孤独。自己との葛藤。
比較にもならないレベルでありながらも、物心ついた時から音楽と過ごしてきた私は、涙なしに見ることができませんでした。

R・シュトラウスの『英雄の生涯』6楽章になぞらえたアジア6都市。
映し出されるアジアの様相には、色々と異論がなくもありませんが、音楽のドキュメンタリーとしてはなかなかだったと思います。
来年3月にはDVDとして発売されるらしいので、多分買ってしまうだろうなぁ。

エンドロールが終わるまで誰も席を立たず、私も含めて映画の余韻に浸りました。
場内が明るくなると、お客さんは出口へ…向かわずに、然のところへやって来て、口々にお褒めの言葉をいただきました。今後の音楽英才教育についても沢山のアドバイスをいただきましたが、ごめんなさい、うちは英才教育とは無縁です(笑)。
いちいち笑顔で応えていた然。すごいなぁ、君は(苦笑)。

映画は数年無理だと思っていたけれど。
何とかなるものですね(笑)。
本当に素晴らしい時間を過ごしました。
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開演までの待ち時間にパチリ。
ちょっぴり緊張気味です。
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渋谷ユーロスペースのチケットブース前にて。
観賞後、とってもご機嫌?なご様子。
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by sorapis | 2008-12-01 23:52 | Review:カルチャー

シンガーソングライターるりかけすの山と本とサブカルな日々の話。
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