るりかけすの空は

大丈夫であるように @渋谷シネマライズ

今月はベルリン・フィルに続いて、どうしても見ておかなければいけない映画があった。
しかし、前回同様、然がおとなしく映画に付き合ってくれるのかどうか。
あれは奇跡だったのかもしれない・・・と少々ビビる母。しかも連日満席だと言う。
とりあえず、今回も映画館に電話をし、了解を取る。

冷たい雨が降る中、開場を待つ人たちが列を作っていた。
私たちはご厚意で、最後列の通路側の席を確保してもらっていた。

この作品は、大好きな是枝裕和監督が(最も好きな作品は『ワンダフルライフ』(1999年)、『幻の光』(1995年))、やはり私にとっては唯一無二のCoccoの全国ツアーを共に旅しながら追いかけたドキュメンタリー映画。

映画が進むにつれ、私は戸惑っていた。
きっと感動して、終始泣いてばかりだろうと思って出かけて来たのだ。
それなのに、実際は心が痛くてたまらなくて、途方に暮れた気持ちになっていた。

彼女の歌に出会ったのは、10年前。
曲を創るなんてもちろん、カラオケすら無理なほど、人前で歌うことも考えられなかった頃だ。
でも、聴くことは好きだったし、くり返し聴く好きなアーティストだっていた。
それなのに、なぜか彼女の声に出会ってからは、他のどんな歌を聴いても「何か」物足りなく思えた。そのくらい、私にとっては圧倒的な存在だった。

休止前の歌に比べて、自由に飛び回り、きらきらと光っている曲たちを聴いていると、彼女はもっと楽に生きることができるようになったのだと思っていた。
「生きたい」とストレートに言えるほど強くなったのだと、勝手にホッとしていた。
しかしスクリーンに映し出される、あまりにひたむきで、刹那過ぎる生き方は、今でも痛々しいほどだった。
母になったこと、大切な人々の生死に立ち会ってきたことが、さらに素晴らしい曲を生み、そう言わせたのだろう。

そんな不器用なほど実直な生き方しかできない彼女を見て、自分の奢りや煩悩さが恥ずかしかった。そして、自分はそこまでひたむきになりきれないゆえの、彼女への憧れもどこかにあった。

どんなに力を尽くしても、力の及ばない、厳しくて苦い現実がある。
でも、この世界にはやらないよりやった方が絶対にいいことだらけなのだ。
行動を起こさなければ何も始まらない。
行動を起こしたことで、必ず次に繋がっていくのだから。
それなのに、私たちはなかなか腰を上げることが出来ないでいる。

「続けている人たちの強さを知ったから、歌い続ける」と語っていたCocco。
「続ける」ことほど大変なことはないと、私も思う。
継続する強さ。
弱くて小さい私は、歌うことだけでなく、あらゆることと葛藤してばかり。

いつ歌をやめる日が来るのか。
いい加減、やめるべきでないのか。
私が歌おうが歌うまいが、誰も影響を受けることもないであろうに、いつも漠然と怯えている自分がいる。
やめられるわけないのに。
歳を取っても、生活環境が変わっても、どんな形でも歌い続けていく強さが欲しい。
私の中から音と言葉が涸れてしまう日まで、歌い続けていきたい。
そしてどうか、彼女にも歌い続けて欲しい。
ずっとずっと私は彼女の音を待っているだろう。

苦しさと祈るような気持ちで映画館を出た。
冷たいけれど、やわらかい雨が降っていた。
ふと息子の顔を見ると、にっこり笑ってくれた。涙が出るほど愛おしく思えた。

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by sorapis | 2008-12-17 23:37 | Review:カルチャー

シンガーソングライターるりかけすの山と本とサブカルな日々の話。
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