るりかけすの空は

視線の先にあるもの ー 舟越桂展

久しぶりに目黒の庭園美術館へ行った。
元々朝香宮邸として昭和8年に立てられた建物を、そのまま美術館として公開している東京都庭園美術館。広大な緑溢れる庭園に囲まれ、自然とアール・デコ調の洋館、美術作品の三者をあわせて楽しむことができ、何度行っても大好きな場所だ。

今回のお目当ては、彫刻家の舟越桂(1951〜)の作品展、「舟越桂 夏の邸宅 アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画」展。

天童荒太の小説『永遠の仔』や私の敬愛する須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』の表紙を飾っている人物の彫刻、と言えば分かる方も多くいらっしゃることだろう。

彫刻に関しては、写真だけでもその十分に圧倒的な存在感と、独特の輝きを持ったその目に惹かれていたのだが、今展では実物が見られるということで本当に楽しみにしていた。

手が触れられるほど近くで作品を見て、私はただただ言葉もなく彼らの傍らに立ち尽くし、静かな声に耳を傾けて時を過ごした。

従来の見慣れた作品群と共に、いつからか大きく変化している作品群を同時に鑑賞することができたのも興味深かった。
それもそのはず。今回の企画展は2003年に東京都現代美術館などで開催された大規模な個展に関わったキュレーターが、従来の作品とその後の新作を含めて、氏の想像活動を再検証する機会として、今回の展覧会を企画したものだったらしい。

近年氏が取り組んでいるというスフィンクスの連作。
肩まで垂れる長い耳を持ち、まるで神と人の間のような不思議な神聖さをたたえた顔に両性具有の身体。
要するに「異形」なのだ。
スフィンクスだけでなく、近年の作品には身体のリアリティはない。それだけに「目に見えるもの」から、内面の精神世界が表出した「真の姿」へと変化を遂げているのかもしれない。

ただ、従来の作品と容姿が変化を遂げても、変わらないものがある。
それは、その深くてどこか憂いを含んだ目の輝きと、視線の行方である。
少し斜視がかり、遠くを彷徨う視線。
その目について舟越氏が語っていた言葉がとても印象に残った。

遠くにあって、いちばん分からないもの。
それが自分である、と。

つまり、彫刻の人物たちは自分を見ているのだ。
こうして舟越氏は作品像の目を介して、それを見る人たちの内面に入り込み、遠くにいて分かりにくい自分を眺めさせてくれる。
その瞑想にも似た行為が、見る者をこんなにも静かで穏やかな気持ちにさせてくれるのだろう。
「自分探し」だとか「本当の自分とは」などと言う人言葉が一人歩きしているような中で、氏はそういった押しつけがましい言葉ではなく、作品を通じて自分を見つめさせてくれるアーティストなのだ。

また、感動したのは彼の作品のタイトルである。

「言葉の降る森」
「地図を渡すきっかけ」
「深い水の内側」
「言葉をつかむ手」
「肩に残る手」
「夜の降る山」

ちなみにこれらの名前がつけられた作品は、風景画でも抽象画でもなく、すべて人物の彫刻や版画なのだ。
まるで詩の一説のような、それを読んだだけでも歌や物語が出来てしまいそうな、叙情的なタイトルが彫刻だけでなく、版画などすべての作品につけられている。
想像力をどこまでも刺激された素晴らしい一日になった。

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展覧会は9月23日(火)まで開催されている。お近くの方はぜひ。

美術館といえば、併設されているカフェも楽しみのひとつ。
庭園美術館の併設カフェ「茶洒(サーシャ)」は老舗料亭「金田中」が手がけるカフェレストランで、入るのは今回が初めて。
珈琲とずんだ餡の冷やし汁粉を注文。
コーヒーはカップではなくお椀、添えられているのは砂糖ではなく和三盆。ずんだ餡は上品ですっきりした甘さで美味。ただし、掌にすっぱりと収まるほどの小さなお椀に入ったお汁粉は、私には量も上品過ぎ。確実にあと4杯はおかわりできる(笑)。

とはいえ、夕方のゆるやかな光が揺れる店内で、とても贅沢なひと時を過ごすことができた。
次回はぜひ食事を頂いてみたいと思う。
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by sorapis | 2008-08-01 17:52 | Review:カルチャー

シンガーソングライターるりかけすの山と本とサブカルな日々の話。
by sorapis
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