るりかけすの空は

読書で旅へ

風邪をひいた。

恐らく扁桃炎からくる熱だったのだと思うが、休むに休めないままダラダラ仕事をしていたら、案の定こじらせてしまった。
3週間近く熱が下がらず、咳が止まらないと病院を変えてみると、気管支炎と喘息を起こしていた。
普段滅多に風邪をひかない私も、この時期は風邪をひくことが多い。多湿や気温の変化、冷房などにやられるらしい。
ちなみに未だに熱下がらず、である。

といったことはさておき。

風邪をひくと本が読める。本屋で働いていると、読みたい本は数え切れないほどになり、
読もうと思って買った本が家には山積みとなっている。
読みたい気持ちは山々なのだが、普段は雑事に追われ、なかなか読書をするだけのまとまった時間が取れないのが現実。
そんな私が読書量を誇るのは、何を隠そう風邪で寝込んだときだ。
今回も高熱にうなされながら、5冊の本を読んだが、
とびきり素晴らしい本に出会うことができた。

それはキアラン・カーソンの『シャムロック・ティー』。
久しぶりにページをめくる手が止められない、ドラッグにも似た高揚感に包まれた読書体験をした。

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キアラン・カーソンといえば、『アイルランド音楽への招待』を読んで以来だったのだが、この本の印象が強く、しばらくの間カーソンはアイリッシュ・トラッドのミュージシャンか研究家だとばかり思っていた。
もちろんカーソンはミュージシャンでもあり、アイリッシュ・ミュージックの研究家でもあるのだが、カーソンが北アイルランドにおいてノーベル文学賞を受けたシェイマス・ヒーニーに続く世代を代表する詩人として、ポール・マルドゥーン、メーヴ・マガキアンと並び称される存在であることを、恥ずかしながらこの作品を通じて知った。

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お金がない、休みが取れない、様々な理由から、思い立ってすぐに旅に出られるような人は
そうそういるわけではない。
しかし、読書を通じてならば、いつだって、世界各国どこへでも、時空を超えてだって旅は出来るのだ(あるいは旅以上の経験ができることだってある)。
そのことをこの本は思い出させてくれた。


「ことによるといつの日か、自分が最初にいた世界へ戻れないともかぎらない。だから、とりあえず今は、そちらの世界について書きつけておきたいと思う。」

物語はこんな魅力的な書き出しで始まる。
シャムロックといえば、アイルランドを象徴する三つ葉のクローバーを思い浮かべるだろう。だが、シャムロック・ティーというのはこのシャムロックを煎じたお茶の名前ではなく、特殊な作用を持つ薬草をブレンドした煙草のことである。
このシャムロック・ティーを飲む(吸う)と…

Paris Green(ヒ素系鮮緑)、Clerical Purpe(聖職服の紫)、Redcoat Red(英国軍の軍服の赤)、Danube Blue(ドナウ川の青)。
これらの想像力をかきたててやまない色の名前は、すべて各章のタイトルである(中にはDorian Grayなんて色も。ワイルドにちなんでいることは言うまでもない)。
『シャムロック・ティー』には、原文・翻訳共に3ページに満たない章が全部で101つ並ぶ。
その言葉の表現する色が実際にはどのような色なのか、常に頭に思い描き、想像しながら読み進める。こんなにたくさんの色を思い浮かべたのは初めてかもしれない。それだけでも豊かな気持ちになる気がする。

色彩の鮮やかさだけでなく、物語にさらなる彩りを加えているのがカトリックの聖人暦。
一年365日、毎日が何らかの聖人の祝日であり、
キーワードとなる日がどの聖人の祝日であるのかも、この物語の重要な要素なのである。

これらの気の遠くなるような逸話の数々が、ヤン・ファン・エイクの傑作「アルノルフィーニ夫妻の肖像」という一枚の絵を軸に、まるでレース編みさながら、複雑かつ精巧に織り上げられていく。
その中で、コナン・ドイルが推理論を語り、ウィトゲンシュタインが哲学を語り、オスカー・ワイルドが文学と美学を語る。
とにかくどのページを開いても楽しめるという、隅々まで(隅々「こそ」?)面白いこの本の中心に、“神は細部に宿る”をそのまま作品にして見せたヤン・ファン・エイクを持ってくるというところも、心憎いとしか言いようがない。

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ヤン・ファン・エイク画「アルノルフィーニ夫妻の肖像」


話が話を呼び、またその話が続いていく。どこからが本筋でどこからが逸脱した話なのかはどうでもよくなるほど、夢中になってしまった。
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」の中に描かれた凸面鏡を覗き込んでいるのは、自分なのではないかという錯覚さえ覚え始め、うかうかしていると眩暈を起こしそうになるのだが、万華鏡のごとくひとつひとつのエピソードがキラキラと変転していくのに酩酊した。

この本を読めば、1959年の北アイルランドへ、そして15世紀のゲント(『青い鳥』のメーテルリンクの故郷)やゲールへ、時空までもを超えて旅できることを約束する。
読後の少し切なくて心地良い感覚は、文中に時折現れる“二度と戻れない時間を振り返り、懐かしんでいる”ようなカーソンの郷愁に満ちた語り口であろう。

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ゲントの町並み(ベルギー)

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ゲントにあるファン・エイクの最高傑作「神秘の子羊」

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聖ディンプナにゆかりの深いゲール(ベルギー)


数ある本の中からこの世界を体験できた幸せ。
私もシャムロック・ティーの魔法にかけられたかのように、現実へ戻るのが大変だったことは言うまでもない。
最後にこの「奇妙"てきれつ”マカ不思議」なストーリーを余すところなく伝えてくれた、
栩木伸明氏の翻訳が素晴らしかったことを付け加えておきたい。
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by sorapis | 2009-07-22 23:20 | Review:カルチャー

シンガーソングライターるりかけすの山と本とサブカルな日々の話。
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